寝ながら考えること。

同性の恋人とのこと。あとは思いつき日記。

母へのカミングアウトを選んだ日。

26歳になった誕生日、同性と付き合ってることを母にカミングアウトした。

同時にレズビアンであることも伝えた。


「カミングアウト」という言い方はいささか仰々しいように感じるけど、結局そう表すしかないような日々だったと思う。

("自分が同性愛者だと自覚するまでの日々"を書き始めると、何回スクロールしても読み終わらないぐらい長くなってしまうのでカミングアウトについてのみ書きたい。できればコラムぐらい短く済ませたい。)

 

私には同性の恋人がいる。

初めて会ってから数えると、もう2年は過ぎた。

今まで一度も考えることがなかった「誰かと人生を歩む」ということを初めて想像することが出来た。

一緒に美味しいものを食べ、一緒に笑い合い

共に時間を過ごしていく中で、この人と生きていくんだと確信を持つことが出来た。

そんな恋人との将来を考えた時、母へのカミングアウトは避けて通れなかった。

 

「カミングアウト」には犠牲が伴うと私は思う。

理解してくれるかも知れない、自分を知ってもらえるかも知れない。それと同時に十数年かけて噛み砕きようやく飲み込むことができた苦悩を、相手にも同じだけ背負わせてしまうかもしれない。

それを前提に伝えなければならない。

(ストレートに生まれていたら、わざわざ説明する必要のなかったことで頭を抱えなきゃいけないなんて疲れちゃうよね。)

 

本当は、同性愛者であることは墓場まで持っていきたかった。親には一生伝えることがないと思っていた。その考えを覆し、覚悟を決めるに至ったのは人生の伴侶としたい恋人と出会ったから。

 

幸い私の母はカミングアウト以前から「LGBTQ」や「同性愛者」に対して寛容だったこともあり、「あなたのお母さんは話しても大丈夫だと思うよ。」という恋人の意見が背中を押して誕生日に伝えることができた。

返ってきたのは「そうだと思ってたよ笑」の一言。(あっけらかんとして母らしいね。)

あまりにもすんなりと受け入れられたので、のれんに腕押しのような感じと「そうだよね。」という安堵感を覚えた。

 

日本はまだ同性同士が結婚することはできない、もし同性婚を選ぶことができても私たちは結婚しないだろう。

それでもあの日伝えたことが「私はこの人とこの先の人生を一緒に生きていくんだ。」という意思表示だと伝わっていて欲しい。(今までひた隠しにしてた割にわがままだけど。)


私は今後も、職場や友達にリスクを冒してまでカミングアウトすることはないだろう。これから何度も恋人の性別を偽り、時には透明なものとして周りに話すと思う。その度に細かく傷ついていくと思う。

それでも私は確かに同性愛者として生まれ、同性の恋人と出会い一緒に生きている。

この先も恋人が、Twitterのセクマイさんが

そしてこれからは私の母が、その存在を事実にしてくれる。それだけで十分、私たちはちゃんと姿を持っていると感じることができる。

 

「2人でいれば大丈夫だね。」と恋人が私に言い救うように、私もまた隣を歩くことで恋人を透明にしない存在になれたらと思う。

(でも今年は同性カップルの友達が欲しいな。)(というカミングアウト)

 

最後に、

私は今もカミングアウト推奨派ではありません。相手との関係性を見極めなければ、伝えることで傷つくことが往々にしてあるから。

現に私の恋人は"誰にも言わない"ということを徹底しているし、私はそれを尊重したい。

ただ一日でも早く、「カミングアウト」なんて大袈裟な言い方をしなくて良い世の中になって欲しいと切に願います。

 

おわり。